椎葉の焼畑から広がる縁。これからも山と共に生きていく。

#世界農業遺産 高千穂郷・椎葉山地域

世界農業遺産 高千穂郷・椎葉山地域

公開日:2023/2/22

椎葉の焼畑から広がる縁。これからも山と共に生きていく。

椎葉村で、伝統的な焼畑農業を続ける椎葉勝さん(70歳)の元を訪ねた。椎葉さんが営む「民宿焼畑」は、椎葉村役場から約60分、熊本との県境が近い位置にある。標高900m、椎葉では一番高いところにある宿で、周りの雄大な山々の頂上が間近に見え、思わず深呼吸したくなるような眺望だ。
循環型農法である焼畑も伝統的な山間地農林業の一つとして評価され、2015(平成27)年に「高千穂郷・椎葉山地域」は、国連食糧農業機関(FAO)の世界農業遺産に認定された。県内では初めて、国内では6地域目の認定である。
大自然の中で営む椎葉の暮らしや、国際的な評価を活かした取り組み、これからの展望などについて、椎葉さんに話をお聞きした。

山の地力を引き出す。椎葉の焼畑の素晴らしさ。

焼畑の日には全国各地から毎年、大勢の人が訪れ、一緒に汗をかく仲間も多い。

雑穀、ソバ、小豆や大豆。長く種子を守ってきた。

山の神、火の神に祈りを捧げる。「このヤボに火を入れ申す。ヘビ、ワクドウ(カエル)、ムシケラども、早々に立ち退きたまえ」

焼畑は約5500年前の縄文時代から山林で続けられてきたといわれる。かつては日本全国の急峻な山間で行われ、県内でも伝わっていた。起伏の激しい傾斜地を最大限に生かし、ソバのほか、ヒエやアワ、小豆、大豆を順に輪作し、一回りしたら20~30年かけて元の雑木林に戻して地力を回復させる。椎葉さん家族は、焼畑を途切れさせずに続け、種子を守ってきた。

「元々、焼畑はこの地で生きる原点でした。田んぼはできないのですから。この界隈もみんな焼畑をしていて、人手は1週間から10日間、「結い」、つまり椎葉で言う「かてーり(貸し借り)」をしていました。今、ヒエは3年作。アワは2年。小豆、大豆は種子の保存のためにまいています。大量に作ると鳥が食べてしまうので、種子の分だけ育てて、ネットを張って守っています。今年は台風でかなり落ちてしまいました。ヒエは在庫もあり、数十年保存がきくので大丈夫ですが、アワは2、3年しか保存がきかないのです」。

焼畑は、8月頃の晴天が続く日に火入れが行われる。事前に木を伐採し、草を整備し「やぼ切り」をしておく。火入れの前には神々にお神酒と唱えごとを捧げた後、斜面の上方から火を着けていく。火は徐々に中央部分に集約し、消火したら、まだくすぶっているうちにソバの実を地面にたたきつけるようにまいていく。猛烈な熱波の中での作業。焼いた灰と土が肥料となり、いいソバを育ててくれるのだ。1粒の種からの実りは約400粒。尊い糧となる。

まだ煙が立ち上る大地に、ソバの実をまく。ソバは白い花を付け、まいてから75日後には収穫できるといわれる。

椎葉を離れたからこそ知った椎葉の魅力。

ある年の年末、粒々飯々の作業場で、打ち立てのそばをゆでていただいた。椎葉のおいしい水を使ったそばのお味はもちろん格別!

世界農業遺産の看板をどう活かしていくか。

ログハウスの共同作業場。そば打ちや餅つき、山菜採り、郷土料理作りなどの体験希望も受け付けている。

椎葉さんは村内で仕事に就き、妻ミチヨさんと結婚し、4人の子どもに恵まれた。その後、家族で村を離れ、トラックドライバーの職に就いた。「若い頃は村の外が見たいというモヤモヤがありました。稼ぎながら日本全国が回れると思って、ドライバーがいいなと思ったのです」と振り返る。だが日本全国を見て回ったことで、意識が変わったという。「こんな村はイヤだと思って外に出たけれど、外から見ると、椎葉はいいところでした。全国でも結構、名前が売れててね。出身地を言うと分かる人も多かった。山奥だけど、雪がない分、実はそれほど生活は厳しくはない。いろいろな宝が眠っていることに気付きました」。

ドライバーを辞め、家族と共にUターンしたのは1997年のこと。父秀行さんが倒れたことがきっかけだったが、山の暮らしの生き字引である母クニ子さんと共に、椎葉で民宿や農業、土木作業員などの仕事をしながら、地域のリーダーとなっていったそうだ。「自分のようにUターンする人もいる中で、地域がどうあるべきか。刺激のあるおもしろい場所でありたい」と考え、2008年に「焼畑蕎麦苦楽部(そばくらぶ)」をたちあげた。2010年には「焼畑粒々飯々(つぶつぶまんま)共同作業体験場」が完成。ソバや雑穀、山菜など自然の食材を使った料理づくりなどが体験できる。また加工所も併設し、そばや餅、ジャムなどの加工品を作って販売している。

2014年3月には、世界農業遺産を目指す「高千穂郷・椎葉山世界農業遺産推進協議会」が設立され、椎葉さんも現地調査の対応などを続けてきた。2015年に世界農業遺産に認定。「背負う看板ができたことで、活動の継続への足掛かりができたことが何よりうれしい」と椎葉さん。周りの人々も、環境を大事にするなど意識が変わったという。椎葉さんも、これまで以上に「山を活かしたい」と考えるようになった。「この御旗をどう活かすか。発信力も補助金も、もっと活かしていけるよう、みんなで知恵を絞っていかなければと思います」。

打ち立て、ゆでたての焼畑そば。鮮烈なそばの香りが鼻腔を抜け、感謝せずにはいられない。

世界農業遺産認定地域の交流の場をつくりたい。

尾向小学校や、椎葉中学校の子どもたちも焼畑を体験する。尾向小では1988(昭和63)年から焼畑学習に取り組んでいる。

まずは地元が結束して一緒に活動を。

クロモジの木を煮出してお茶に。抗酸化作用があり、爽やかな香り。「山にはまだまだ宝が眠っていると思います」と椎葉さん。

椎葉村には、地域おこし協力隊員も含めたIターン者もだが、Uターン者も多い。苦楽部にも移住者が3人入り、10代の若手もいる。「まずは楽しくやれることがあるからではないかと思います。子どもたちは、かわいがるだけではなく、叱るときは叱る。自分たちがやってきたことを教えておかないといけないと思って伝えています。尾向小学校では、30年以上も焼畑に取り組んでいて、それもUターンのきっかけの一つになっていると思います。とにかく継続が大事です」。

椎葉さんは、「これからは、交流でお互い刺激し合いたい」と話す。これまでも「豊かな海は豊かな山がつくる」をテーマに、海山交流を続けてきた。山奥に大漁旗を掲げ、マグロの解体ショーを行う。みんなが楽しみにしている交流イベントだ。そして、これから新たにつくっていきたい交流もある。「世界農業遺産認定地域とつながりたい。まずは九州だけでも何かできそうです。以前、雑穀を作る地域の交流会がありました。焼畑の交流会もやってみたいです」。

2025年の世界農業遺産認定10周年は、目前まで来ている。高千穂郷・椎葉山地域である高千穂町、椎葉村、日之影町、五ヶ瀬町、諸塚村の交流もまだまだ必要という。「自分が動けるのは後10年程度。後継者となる若い人を育てながら、とにかく楽しくをモットーに、椎葉や椎葉の山の魅力を発信していきます」。

民宿 焼畑
http://www.asia-documentary.com/yakihata/

※焼畑の画像は、椎葉村役場総務課提供

トウキビや小豆を一緒についた餅も年末の人気商品。ハチミツを付けていただくのが椎葉流。

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