トロッコ道は貴重な歴史遺産。仲間とともに再生を目指す。

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綾ユネスコエコパーク

公開日:2022/10/6

トロッコ道は貴重な歴史遺産。仲間とともに再生を目指す。

 綾町は2022年7月、綾ユネスコエコパーク登録10周年を迎えた。いまも照葉樹林が残り、豊かな生態系が残っている貴重な地域だ。この綾町でも生活圏の広がりや戦後の国による拡大造林によって、樹木が伐採されてきた。高度成長期に入り、木材需要が高まる中、当時、綾町長であった郷田実氏が舵を切り、反対の声を上げた。いち早く環境保護の大切さに気付き、自然林の価値を訴えたことが、現在の豊かさにつながっている。
 綾町史によると、大正9年に綾貯木場が開設され、小林市須木方面などから3本のトロッコ道が敷設された。トロリーで木材や木炭を運んでいたという。トラック輸送に変わる昭和43年には全線廃止となった。
 今回紹介するトロッコ道は、歴史をいまに伝える貴重な遺産。「有木農園」を運営する有木重昭さん(72歳)は宮崎市と綾町の2拠点生活からスタートし、8年前に移住。この道のおもしろさに気づき、ウォーキングができるよう、妻・幸子さん(69歳)や仲間たちと一緒に手を入れ、生まれ変わらせようとしている。

トロッコ道を再生させたい!

綾小学校の西門近くにあるトロッコ道の入り口。県道沿いできれいに植栽されている。

移住した先で見つけたランニングにぴったりの道。

入り口から少し入ったところ。サイクリングコースにもなっている。

 トロッコ道は県道26号沿い、綾小学校の西門近くからスタート。歩道自転車道専用と書かれ、入り口付近には美しい花壇が作られている。緩やかな上り坂になっているが、自転車でも走りやすそう。自転車道はここから馬事公苑付近までの歩道は九州遊歩道でもあり、約3kmの舗装された道がある。樹木や竹林が木陰をつくり、風が心地いい。歩を進めると、ヒラヒラとハグロトンボが飛び立った。

 有木さんがトロッコ道を整備しようと思い立ったのは、趣味が理由だった。平成17年に綾町で日向夏ミカン園をスタートし、最初は通いで週末農業を始めた。すると、農園の目の前に、トロッコ道の入り口があった。「ランニングが大好きで、通い農業をしているときから、この道はランニングにいいなと思っていました。でも整備しないと走れない。ようやく昨年(令和3年)の秋から、2人で整備しようと考えていたところ、計画を伝え聞いた人が応援に来てくれました」。

 そして幸子さんが、綾町の中にさまざまなボランティア団体があることを知り、積極的に参加していたことも功を奏した。「やりたいことを皆さんに伝えたら、それは応援するよと言ってくれました。皆さん、トロッコ道を整備できたらいいと思っていたみたいで、すぐに賛同してくれました」と振り返る。

初めは竹や木々が折り重なり、写真ような状態だった。

人とのつながりで復活プロジェクトが動き出す。

道の両脇には竹林がある。手入れをし、竹の子掘りなどのイベントができるようになればと考えている。

 トロッコ道は、途中、綾神社の参道入り口を通る。ここから綾神社や馬事公苑に向けてサイクリングするのにぴったりなコース。重昭さんは「地域を訪れたときは、人とふれあいができてこそ楽しい。行ってよかった、また行きたいという環境づくりが必要だと思っています。地域の活性化には、人の往来があることが大切なので、トロッコ道はとてもいいツールになると思うんです。これを活かさない手はないですよね。この活動に関心のある方も大歓迎です」と話す。

 ただ、舗装されていない山道に入ると、そこから先は倒木があったり、一部ゴミが散乱していたりする場所もあり、入れない状態になっている。手入れを始めた当初は、竹林も大変な状態だった。現在、農地の土壌を改善する発酵竹パウダー等を製造する企業との連携を考えており、SDGsの観点からも期待をしているという。
 「今後はタケノコ掘りなど、環境を活かしてうまく手を入れる形をつくっていきたい」と考えているそうだ。

綾神社の参道前を通る。途中でお参りするのもいい。

自給自足、地域での支え合いを求めて綾町へ。

有木重昭さん、幸子さんご夫妻。敷地には日向夏をはじめ、土佐ブンタンや八朔、へべす、ブルーベリー、柿など果物がいっぱい。

民泊を始め、縁あった人と宮崎・綾をつなぐ

トロッコ道の入り口は、有木農園を出てすぐ向かい側にある。「いい道を見つけた」と思ったそう。

 トロッコ道と運命的に出会った有木さんご夫妻。綾町移住を決めたのは、重昭さんだった。49歳のときにイギリスを訪問。イギリスでは、リタイア後の暮らしを見据えて人生設計をしていることを知った。県農協中央会職員だったこともあり、「田舎に移り住んで農的自給の暮らし、薪ストーブ、直焚き風呂という暮らしにあこがれました。綾町なら、地域で支え合って暮らしていけるんじゃないかとも感じました」と重昭さん。
 だが幸子さんは当初は反対したという。「綾は昔から、よく子どもを連れて川遊びに来たり、川中キャンプ場に来たりして、親しみのある場所ではあったけれど、移住は考えたこともなかったんです」。

 重昭さんは物件を探し、何度も幸子さんに相談。幸子さんが承諾したのが、現在の場所だった。「老夫婦の方のお住まいで、日向夏はそのときから植わっていました。ここはいい!と感じました」と幸子さん。
 2018年からは民泊も始めた。宿泊、果物や野菜の収穫、そば打ちなどの体験も人気がある。「大変だと思って、民泊も初めは反対していたんです。やってみたら、料理が好きなので、お客さんが喜んでくれるのがうれしくて。日向夏のデザートなども喜んでくれます」(幸子さん)、「民泊を始めたことで、人との出会いにつながりました。中には東京から宮崎に移住された方もいます。夏はホタルを見ながら綾南川からの風をうけながらデッキで食事、冬は薪ストーブの火を囲んで何時間もおしゃべりして。楽しいです」(重昭さん)。

 「これからはタンパク質を自給したいです。まずは卵。炭焼きもやろうと思っています。自分で創造する、工夫するところにロマンがある。それはお金では買えません」。まだまだ、やりたいことがあると重昭さんの情熱は尽きない。

「有木農園」の看板は、宿泊に訪れた日向新しき村の代表・松田省吾さんの手によるもの。

仲間たちとコースを整備し歴史を学ぶ。

整備に向けた調査の日は、トロッコ道を盛り上げたい!という仲間が集まった。

いずれは四季ごとのイベントも。

山に入る前に、山の神に献杯し、皆で無事を祈る。帰りにもお礼を忘れずに。

 令和4年9月の台風襲来の後、再びコースの整備をすることになり、事前調査の日に参加させてもらった。この日は9名が参加。「水源の森づくりをすすめる市民の会」メンバーや近所の方、町内の造園会社の方などが集まった。「水源の森づくりをすすめる市民の会」は、1996(平成8)年から活動をスタートし、「大淀川・清武川流域に豊かな水源の森づくりを進めること」を目的としている。有木さんご夫妻も移住後、会の趣旨に賛同し、一員となった。

 皆で倒木の枝を切ったり、整備について打ち合わせしたりしながら歩いた。山道を歩きながら川のせせらぎが耳に心地いい。手前は所々に杉林があるものの、奥に入ると照葉樹林に変わっていく。眼下には綾南川がきらきらと輝き、木々を渡る風が爽やかだ。

 「昭和初期までは、犬がトロリーを引いていたんだって」「子どものときに乗ったことがあるという人の話を聞いたよ」など、皆さんが持ち寄るエピソードもおもしろい。「こういうロマンが、観光に来た人にインパクトを与えますよね」と重昭さん。

 「ここは休憩所になりそう。ベンチを置いたらいいかも」「木のことも少し分かるといいね」と、今後の夢も広がる調査となった。これから、先のコースまで整備し、みんなで歴史も学ぶ計画という。「いつか、ここに人が乗れるトロッコを走らせたい。足腰が弱い人にもこの森を楽しんでもらえたらうれしい」(重昭さん)、「タケノコ掘りや収穫体験とウォーキングなど、四季を通して、いろんなことができるね」と皆さんの声が弾んでいた。

倒木の下をくぐって歩くのも楽しい。一部は残しておくという。キノコや草花、木の実などにも和む。

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