カルイは世界農業遺産の理念そのもの。

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世界農業遺産 高千穂郷・椎葉山地域

公開日:2020/3/10

カルイは世界農業遺産の理念そのもの。

19年前、職人さんを訪ねる旅の途中で日之影を訪れたという小川鉄平さん(44)。原付バイクで細い山道を走っていたとき、ある風景が目に飛び込んできたと言う。この地方独特の背負いカゴ「カルイ」を背負っているおばあちゃん。「まだ使われているんだな」。印象に残ったというカルイが、小川さんに移住を決断させた。
今も、竹細工を使う人、作る人がいる日常を絶やさぬよう、カルイを作り続けている。

ものづくりに魅せられ日之影へ。

小川家の天井には、イリコを保存したというイリコカゴやメシカゴなどがずらり。

樹木が好きだったことがきっかけに。

暮らしの中で使われているザルやカゴは、使い勝手がよく丈夫なのはもちろん、本当に美しい。

 小川さんが名古屋市から日之影町へ移住したのは25歳のときだった。若くして竹細工の世界に入ったのは「元々、作ることが好きだったから」と話す。中学2年のときには山村留学を体験し、その頃から木を削ったり巨樹を見たり、樹木が好きだったという。小川さんは「ものづくりの現場を見たい」と、職人さんを訪ねる旅を思い立ち、図書館に通って調べたところ、その後、師匠として門をたたくことになる飯干五男さん(故人)のことが紹介されていた。

 全国の職人さんを訪ねて回る中で、いよいよ日之影のカルイとの出逢いが。大きなリュックサックを背負って旅をするバックパッカーだったので、背負いカゴにはとても魅かれたという。「独特の編み方や、今も使っている人がいること、日之影の山や川の美しさにも感動しました。お師匠さんの奥さんが昼ご飯に山盛りの煮しめをごちそうしてくれたこともよく覚えています」と振り返る。名古屋に戻り、少し悩んで飯干さんに連絡し「竹細工を教えてもらえますか」と尋ねると、「いいよ」というお返事。小川さんは移住と同時に竹細工職人の世界へと入ることになった。

不便なことも当たり前の暮らし。

シイタケも自家栽培。天日に干し、薪ストーブのそばで仕上げの乾燥をする。

 「不便だと思うことはありませんでしたか?」という問いかけに、「不便だと思って来ているので、別になかったですよ」と小川さん。それまではペーパードライバーだったが、細い山道を運転せざるを得ない状況の中ですぐに上達。知らない道を行くことも新鮮に感じていたそうだ。
 「やっているうちに時間が経ったような気がします。ただ、移住した人と話をしたとき、3年目、5年目、7年目の壁があるということを言っていました。それは分かる気がします。さすがに新鮮味はなくなりますし、やっていけるだろうかと不安に思うこともありました」。

 日之影で結婚し、現在は3児の父親。集落では1年間、公民館長を引き受けた。「大変でしたが、やったことを評価していただいたし、かなり集落のことも分かったと思います。あとPTAの役員もやっています。まさかこんなに忙しくなるとは……と思いますけど、自分で選んだことなので、できるだけがんばっています」と小川さん。
 町では移住定住支援コーディネーターとしての役割も担っている。移住希望の人や竹細工を教わりたいという人をボランティアでつないでいたが、日之影町がコーディネーターの人材を募集することになり、2016年から就任。移住したい人のサポートや空き家調査、地域と学校とのコーディネートにも取り組んでいる。

竹細工の修業の日々。

自宅前は絶景が広がる。バッグは、諸塚村七ツ山のカルイをアレンジしたもの。「『どこで買えますか』と突然、声をかけられることがあります」。

カルイ作りの名人に弟子入り。

「忙しい日々の中でも、作業をしているうちに頭の中がだんだん真っ白になっていくから、気持ちいいんです」と小川さん。

 自宅の工房でカルイ作りを見せてもらった。床に穴が空いていて、椅子に座ったような状態で作業ができるようになっている。竹ヒゴを湿らせ、しならせながら通していく。静かな工房に、シュッシュッと小気味いい音が響く。「作りたてのヒゴだと、もっと気持ちいいんですよ。いい竹は、しなって柔らかく曲がってくれる。コシもあります。今回の竹は、いいですね」。
 カルイは3日ぐらいで仕上げる。「お師匠さんは早かったです。すごいスピード。今も、スピードも仕上がりもかないません。お師匠さんにどんどん離されていくだけで、差が埋まらないと途方にくれたことがあります」と笑う。

 初めて竹細工を教わったのは18年前のこと。カルイを作りたいと、必要なことを一つ一つ教えてもらった。まずは竹ヒゴを作るところからスタート。カルイ作りは六角形の編み目を作る六つ目(むつめ)と呼ばれる編み方が基本。その編み方で作る六つ目カゴ、カルイの要素を取り入れた応用編のカゴを作り、カルイへと進む。飯干さんの横に並んで、見様見真似で覚えていった。

 竹は、日之影のものを使っている。真竹は3年物がいいと言われているが、山によって性質も違うそう。栽培しているわけではない竹は、その都度、可能な限りよさそうなものを使っているという。今は米を栽培、掛け干しし、カルイの背負い紐を作る稲藁も自給自足している。紐を取り替えながら長期間、使い続けるカルイ。藁で編んだ紐もまた、カルイに欠かせない一部だ。

廣島一夫さんとの出会い。

次第にカルイの形が出来上がっていく瞬間は、好きな作業という。

 日之影には飯干さんのほかにもう一人、廣島一夫さん(故人)という職人がいた。作品はスミソニアン協会・国立自然史博物館にも収蔵されている。「職人の世界なので、2人のお師匠さんにつくのはタブーです。飯干さんの元でカルイ作りを習っていた3年間、廣島さんは『あんたは飯干さんの弟子じゃから』と、話すときは竹細工以外のことでした。独立してから廣島さんに『習う気持ちがあるなら教えるよ』と言われ、ほかのカゴは廣島さんにも教えていただきました」。

 廣島さんの作った竹細工を見ると、皆、縁巻きの美しさに感嘆する。竹細工で一番気を使うのは縁の部分。縁のきれいな作品が高く評価される。「廣島さんはザル作りの一手目から縁巻きのことを考えている。だからきれいなんです。縁巻きさえきれいにできればいいということではなく、最初から手を抜かないからいい物ができるのだと思います」。

 廣島さんは竹選びにもこだわっていたそうだ。小川さんは「雑木山の中がいい」と教わった。竹ばかりが生える竹林だと、竹としか競争しないため、あまり長く伸びない。そういう竹は節の間隔が短くなる。ほかの樹木とも競争すると、高く伸びて節間が長い竹になる。
 「どこまでも奥が深いです。深みが分かると、やめられないですね」。仕事でありながら、面白みも追及できる。「これでやっていけると、ようやく感じるようになった」と小川さんは言う。

カルイが使い続けられている素晴らしさ。

使う人、作る人がいて守られるもの。

竹細工資料館には、廣島一夫さん(奥の写真)の作品を中心に数々の道具が展示されている。

 昔と同じように道具が作られ、今も生活の中で使う人がいる。小川さんは「日之影の竹細工が今まで残ってきたのは、飯干さんや廣島さんの2人の努力があってこそだったと思います」と感謝する。

 “陸の孤島”と呼ばれる不便な土地。自然と共生するしかなかった先人たちに思いを馳せ、だからこそ残ってきたという現実。世界農業遺産は、伝統的な農業や農法、農村文化・農村景観などが継承されていることが評価され、認定された。小川さんは「カルイと、カルイが使われている風景を見れば、世界農業遺産の意味が分かります。これ自体が、世界農業遺産の意味を代弁できるものだと思う」と力をこめる。「日之影をPRするときは、カルイをからって(背負って)、そこからパンフレットを出すぐらいでなければ。それぐらい価値があるもの」と話す人もいるほどだ。

 今は小川さんの竹細工が欲しいと、全国から注文が入る。3年待ってもらう人もいるが、あくまでも地元の人優先。先日は、90代のおばあちゃんから注文があった。地元のおばあちゃんたちは「カルイがないと、出る気にもならん(出かける気にもならない)」と言って買いに来る。「それが生きる力ですよね。そういうエネルギーが財産です。カルイをからっているおばあちゃんがいる。この風景がなくなったら、世界農業遺産の価値は随分、下がると思います。作り手も使い手もいないと残らない。どっちも頑張らないといけない。これからは、残ってきたことに寄りかからないで、残す努力をしていかないといけません」。

資料館に掲げられた写真。今も変わらずこの風景が見られる。

日之影の風景の中で作り続ける。

日之影町竹細工資料館見学希望者は事前に連絡を。日之影町観光協会℡0982-78-1021(平日)、観光案内所℡0982-87-2705(土日祝)。

 小川さんの自宅から見える風景が、また素晴らしい。思わず深呼吸をしたくなるような棚田と山々の風景が広がる。小川さんは「そんなに大それたことをやるつもりで来てないんです。やりたいことをやって、お客さんも喜んでくれる。こういうところで暮らして子どもを育てる。時には自分が欲しい物も作りながら、変わらずにやっていくだけです」と話す。

 目指すのは、今も変わらず、2人の職人だ。どこに行っても、飯干さんと廣島さん、そして廣島さんが若いときに出会ったという目標の人・ウシドン(竹細工の名人)の作品ほどの物はめったにないという。「使う道具としてのカゴ作りを目指しているので、そうなると日之影に残っている物が一つの目標です」と小川さん。県庁楠並木通りで行われる日之影の物産展や宮崎県総合博物館のイベントなどで、展示や実演をする機会もあるので、ぜひ美しい道具たちを手に取って見てほしい。

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