持田古墳群と慰霊に心を尽くした人々の物語。
#日本遺産 南国宮崎の古墳景観
公開日:2022/7/29
宮崎では『古代人のモニュメント-台地に絵を描く 南国宮崎の古墳景観-』が、地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化・伝統を語るストーリーとして「日本遺産」(文化庁)に認定されている。西都市の西都原古墳群、宮崎市の生目古墳群と蓮ヶ池横穴墓群、新富町の新田原古墳群は2018年度に認定。さらに2021年7月、高鍋町の持田古墳群と出土遺物、高鍋大師などが構成文化財に追加認定された。
国指定史跡「持田古墳群」は小丸川北部の台地に広がる田園風景の中に、85基の古墳が残っている。昭和初期に大規模な盗掘を受け、遺物の多くが県外に流出した。古墳に眠る先人の霊を慰めるためにできたのが「高鍋大師」だ。故・岩岡保吉さんが一人で彫り上げた700余体の石像群は宮崎県の『観光遺産』にも認定されている。
古墳のある美しい風景と大迫力の石像群。たかなべ観光ガイドの会 会長・岩切昭一さん(76歳)と高鍋町古墳を守る会 会長・山本隆俊さん(77歳)に、持田古墳群と高鍋大師の魅力について、案内していただきながら話を聞いた。
見渡す台地にのどかな風景つくる。
「計塚(はかりづか)」と呼ばれる1号墳。整った美しいプロポーションが見事。
豊かな土地。古代の暮らしに想像をめぐらそう。
「石舟塚」と呼ばれる15号墳は「計塚」のすぐ近く。墳長46mの前方後円墳。
持田古墳群は、標高約50mの台地と5m前後の沖積地に、4~6世紀にかけてつくられた古墳が点在する。田んぼや畑の中にポコポコと古墳が見える風景は、なんとものどかで、古代から変わらぬであろう景観に郷愁がかきたてられる。
たかなべ観光ガイドの会 会長で、高鍋史友会の会長も務める岩切昭一さんは「海が近くて小丸川のすぐそば。先住民にとっては生活しやすい場所。山もあって狩猟ができる。食べ物にも事欠かない、最高の場所だったんじゃないかな」と想像をめぐらす。
まず訪れたのは、1号墳。墳長約120mで4世紀中ごろの築造当時、九州最大規模の前方後円墳であったと推測されている。「計塚」と呼ばれ、真横から見ると美しいプロポーションが印象的だ。
すぐそばにある15号墳は「石舟塚」と呼ばれている。阿蘇の溶結凝灰岩でつくられた舟形石棺が出土し、現在、高鍋町歴史総合資料館で展示されているので、資料館にもぜひ立ち寄りたい。
「高鍋町歴史総合資料館」に展示されている、15号墳から出土した石棺。(写真提供:高鍋町教育委員会)
重要文化財となった銅鏡など貴重な出土品も。
古墳祭が行われる、「山の神塚」と呼ばれる26号墳。祭りのある10月ごろは、周辺にコスモスが咲き誇る。
秋はコスモスが揺れる中で「古墳祭」を開催。
茶畑の中にある古墳がかわいらしい。銅鏡や馬具など貴重な出土品も。
持田古墳群は、昭和初期に大規模な盗掘を受けた。後の追跡調査によって、多くの出土品の所在が明らかとなり、構造解明に大きく寄与したそうだ。重要文化財に指定されている画文帯神獣鏡や変形四獣鏡などの銅鏡類、金銅製馬具などが出土し、畿内や朝鮮半島との関連が想定できるという。
古墳に眠る祖先たちの慰霊をしようと始まったのが秋に行われる「古墳祭」だ。高鍋町古墳を守る会の山本隆俊会長は「高鍋町内84の自治公民館館長が集まる公民館連絡協議会で話が出ました。昭和47年ごろから、地区の人たちだけで簡単な慰霊祭をしていたそうです。町全体でやろうと、協議会から町社会教育課に提案がありました」と振り返る。
古墳祭では、山の神塚と呼ばれる26号墳前で神事を行い、直会をしている。古墳を守る会が年2回草刈りして種まきし、祭りのある10月には周囲にコスモスが咲き誇る。「古墳祭は今年で48年目となります。会員が高齢化しているので、草刈りなど、みんなで手をかけながら続けていく体制をつくりたい」と山本会長は多くのみなさんの協力を呼びかけている。
空から見た持田古墳群。人々の生活とともにあり大切にされてきたことがよく分かる。(写真提供:高鍋町教育委員会)
古墳の霊を鎮める個性的な石像群。
巨石像9体のうちの一つ「かぜのかみ」が日向灘を見下ろしている。
花守山の700余体の石像が語り掛けてくる。
岩岡翁が造った「大師堂」はフローリングにリニューアルし、おしゃべりの場になっている。梁が見事。
台地の南東、48号墳のある場所に広がる「高鍋大師」は、国道10号からも見えるほどの巨大な石像に目を奪われる。気迫あふれる大小の石像群は一見の価値あり。晴れた日は眼下に、真っ青な日向灘が広がり、漂う気と風景に、心がリフレッシュされる。
ここは、故・岩岡保吉さんが古墳の霊を鎮めるためにつくりあげた空間。岩岡さんは明治22年香川県生まれ。7歳のときに一家で高鍋町に移り、保吉少年は文房具の商売を始め家計を支えたという。後に開業した精米所で財を成し、43歳のときにこの一帯の土地を購入。私財を投じ、87歳で逝去するまで石像づくりに励んだ。
「岩岡さんは、29歳で四国巡礼し、50代で高野山で得度し、僧名弘覚(こうがく)となった。深い知識から生まれた石仏は、表も裏も見れば見るほどおもしろい」と岩切さん。数十センチから数十メートルの石像は、その数700余り。刻まれた文字や、巨石像に刻まれた数十の顔など、とにかく圧倒される。
岩岡翁の自刻像。愛らしい表情にも注目。
ガイドの方と回れば、さらに多くの魅力を発見。
こちらは水戸黄門像。岩岡翁が亡くなる前年の作品だ。
四季折々の花も見所。町民の思い出も詰まる場所。
昔は皆、階段を上ってお参りしていた。高鍋大師花守山の階段には八十八体の石像が配されている。
約7年前に創設されたたかなべ観光ガイドの会でも、「高鍋大師」は人気のスポット。ガイドは現在17名。勉強会を開催し、今年は男性3名、女性2名が入会したそうだ。観光協会や社会教育課に連絡し、予約した方向けに希望の場所をガイドしてくれる。
大師堂の中には「高鍋大師花守山てくてく散策マップ」が置いてあるので、それを片手に自分でめぐるのもいいが、詳しくガイドしてもらうと、知らなかったことも数多い。岩岡さんの自刻像や水戸黄門、見ざる・言わざる・聞かざる像など、巨石像以外も細かく見てほしい。昔は徒歩なので、山の下から続く階段が表参道だった。参道から山全体にかけて、四国巡礼八十八体の石仏が配され、八十八か所めぐりができる。秋は彼岸花が咲き誇り、さらに目を楽しませてくれる。
岩切さんが思い出を聞かせてくれた。「お堂の下には岩岡さんが一人で約65mの地下参拝道を掘られて、そこに33の石仏が祀ってある。崩落の危険性があるため閉じられたが、遠足のときは真っ暗な地下道を通るのが楽しみだった」。町民それぞれの思い出にも彩られ、何度訪ねても興味が尽きない場所だ。
裏面にも細かく彫刻されている。思いの深さを感じずにはいられない。