先人が残してくれた素晴らしい風景を未来へ。

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日本遺産 南国宮崎の古墳景観

公開日:2021/5/6

先人が残してくれた素晴らしい風景を未来へ。

西都市の西都原古墳群、宮崎市の生目古墳群と蓮ヶ池横穴墓群、新富町の新田原古墳群は、4世紀から7世紀にかけて造られた古墳が今も残る。これらの古墳群は『古代人のモニュメント-台地に絵を描く 南国宮崎の古墳景観-』として2018年5月、文化庁が認定する「日本遺産」に選定された。古代の風景を私たちに見せてくれる貴重な場所だ。
その中心となるのが西都原古墳群である。4世紀初頭から7世紀頃にかけて造られたとされる319基もの古墳があり、日本最大の帆立貝型古墳・男狭穂塚(おさほづか)や九州最大の前方後円墳・女狭穂塚(めさほづか)は、宮内庁陵墓参考地に治定されている。
この西都原で12年間、ボランティアガイドを続けている竹之下裕子さん(72歳)に、鬼の窟(いわや)や「記紀の道」を案内していただいた。先人たちが受け継いでくれた素晴らしい宝。竹之下さんは「今、改めて、この魅力を伝えていきたい」と話す。

父の想いを受け継ぎボランティアガイドに。

「記紀の道」と西都原は遊び場だった。

前方後円墳を方墳側から撮影した大山祇(おおやまつみ)塚。祭壇では今も、石貫神社の祭祀を行う。

 竹之下さんは、西都市石貫地区で生まれ育った。「石貫階段を上ったり山道を通ったりして西都原に行き、鬼の窟周辺でよく遊んだものです。今は花畑になっていますが、ここは畑があったんですよ。麦や菜種油を採るための菜種が植えてありました」と懐かしむ。小学校の教師をしていたときから、校外学習の引率でもよく訪れ、「ガイドをやりたい」という気持ちを温め続けてきた。「退職してすぐ、4日後にはボランティアに申し込んでいた」というほどの強い気持ちを持ったきっかけは、父親から受け取った想いにあった。

 「幼い頃から父と西都原を散歩しながら、話を聞いていました。父は今から30年ほど前、80歳になる頃、『記紀の道の伝説を守り伝えていかなければいけない』と言って、自分で調べて冊子にしたり、記紀の道をイメージして作詞作曲し、演奏したりしていました。その姿を見ているので、私は今、ガイドをしています。父のお墓参りのときには『がんばってるわよ』と伝えています」。

 竹之下さんと一緒に「記紀の道」のポイントの一つ「無戸室(うつむろ)跡」にやってきた。竹之下さんが昔から遊んでいたというお気に入りの場所。ここにはこんな神話が伝わる。
 コノハナサクヤヒメは、夫である天孫降臨の神ニニギノミコトに、一夜の契り(ちぎり)で身ごもったことを疑われ、潔癖を証明するため産屋に火を放った。無事に3人の皇子を出産するが、その産屋があったといわれているのが、無戸室跡だ。すぐそばには皇子の産湯として使ったとされる「児湯(こゆ)の池」があり、コノハナサクヤヒメの父オオヤマツミノカミを主祭神とする「石貫神社」がある。神社から石貫階段を上がるとすぐにオオヤマツミのお墓といわれる「大山祇塚」があり、塚の前には祭壇が設けられている。今でも神社の祭りのときは、まずここで祭祀が行われる。
 「西都原は遠い昔から、祭祀の場であり、生活の場、そして子どもたちの遊び場でもありました。素晴らしいのは、ここを大切に思って、この風景をここまで守り伝えてくれた先人たちの想いです。長い間、守り続けてくれた人々の想いを大事にしたいし、ありがたいなぁと思います」。

大山祇塚のそばに石貫階段がある。ここから「記紀の道」へ。

心を動かすガイドとは?自問し勉強重ねる。

古代衣装を着て「鬼の窟」を案内する竹之下裕子さん。ボランティアガイドのメインスポット。

コロナ禍での準備に楽しさも。

コロナ禍では、ガイドツアー参加者全員で鬼の窟の中に入ることができなくなり、さまざまな工夫を重ねる。

 西都原で最も有名な古墳「鬼の窟(いわや)」にやってきた。ここには、鬼の神話が伝わっている。コノハナサクヤヒメを見初めた鬼が、ヒメの父オオヤマツミの命で一夜にしてこの窟を築いた。オオヤマツミは鬼が寝ている間に天井の岩を抜いて放り投げ、未完成であると訴えた。鬼は不備を認め、父は娘を守ることができた。ちなみに、このとき投げたといわれる岩は、今も石貫神社の参道入り口に鎮座している。

 この「鬼の窟」こと206号墳は、西都原古墳群の中で唯一、開口した横穴式石室を持つ円墳で、墳丘の外側を外堤(がいてい)が囲み、外からのぞくことはできない。「階段を上って中が見えると、みなさん『おーっ』と感嘆の声を上げます」という、竹之下さん自慢のポイントだ。西都市内はもちろん、県内外の子どもたちも遠足や校外学習で訪れる場所。竹之下さんは「自分が見聞きし感動したことは、ほかの人にも伝えたい、もう一度来てみたいと思いますよね。そこまで心を動かすガイドができたら最高です。そのためにどんなことを語ればいいのか。知識だけでは心は動かない。何をどう伝えれば相手の心が動くかを考えて実践するのが楽しい」と話す。

 以前は、鬼の窟の中まで入って説明することができた。新型コロナウイルス感染拡大の影響で、現在は、宮崎県内の学生団体の受け入れのみ。密接を避けるため、外で説明してから、少人数に分かれて中に入ることになっている。「そのときに何を投げかけておくかが、考えどころです」と竹之下さん。「投げかける言葉によって、次の展開がどうなるのか、子どもたちの疑問や興味にどう応えられるのか、ヒヤヒヤ楽しみでもあるのです。古墳についてだけでなく、花に興味を持つ人もいるので、さまざまな角度から勉強するのも楽しみ。まだまだ学ばなければいけないことが多いです」と、どこまでもパワフルだ。

石貫神社の参道入り口には、オオヤマツミノカミが鬼の窟から引き抜き投げたといわれる岩が!

319基すべてを自分の目で見たい。

地元の人との出会いも宝。

竹之下さんがまとめている古墳アルバム。現在の様子が事細かに書かれている。あと約20基を残すのみ。

 竹之下さんは、時間のあるコロナ禍で始めたことがある。それは、319基(男狭穂塚、女狭穂塚を除くと317基)すべての古墳をめぐって、写真を撮ること。「私たちはお客様に『西都原には前方後円墳が31基あります、全部で319基です』と説明します。でも実際に全部は見ていません。私自身が319の古墳を見て、肌で感じたいと思って、自転車で回るようになりました」。

 古墳アルバムを見せてもらった。もう完成に近い。現在の様子や資料を調べて古墳の大きさなど、細かく情報が書かれている。写真を見ると、住宅の庭の一角にある古墳も。普段、通っていたとしても気づかないほど、ひっそりとあることに驚く。
 西都原の台地上のものは整備されているが、藪の中や団地の中にあり、古墳の地図を見ても分からないものもあるという。手掛かりは古墳に立つ石柱だ。「偶然話しかけたおばあちゃんに『うちにあるよ、見に来る?』と言われて、自宅の敷地に入れてもらったこともあります。草が枯れてから藪の中を何度も探して、ついに石柱を見つけたこともあります。そのときは、もう『やったー』ってうれしくて。人との出会いも、古墳のことを知るのも、楽しくてたまらない。今の私の生きがいです」とにっこり。

 消滅古墳もあれば、番号のない無号墳もある。「分からないことがあると、西都原考古博物館の学芸員さんや市の文化財係の方から教えてもらいます。あと約20基。見つけにくいところばかりが残っているのですが、(危険の少ない)秋になったらまた回ります。協力していただきながら必ずやりとげます」。コロナ禍に始めた地道な調査は、現在の古墳の姿を守るための道しるべの一つになるに違いない。

西都原考古博物館の3階テラスからの景色。古墳の様子がよく見え、気持ちのいい場所だ。

目指すのは、西都市民全員総ガイド!

子どもたちもガイドに挑戦。

「記紀の道」にある「児湯の池」。皇子の産湯に使ったと伝わる。

 地元の人々にとっては、当たり前にある西都原の景観。今でもジョギングやウォーキング、お花見に訪れる人が多い。日本遺産に選ばれたことで、地元の人も改めて西都原の歴史を見直したのではないだろうか。著名人の講演会など、さまざまなイベントが行われ、「あまり関心を持っていなかった方も参加する機会が増えて、西都の歴史、古墳の素晴らしさを感じてもらえたことがよかった」と竹之下さんは感じている。いずれは、毎日ウォーキングをしている人が、観光客から「〇号墳はどちらですか」と尋ねられたとき、答えられるようになることを目指しているそうだ。

 「私は、記紀の道のある石貫地区で観光客らしい方を見かけると、ガイド以外のときも『ここは~』って話しかけるんです。市民全員が、自分の地域について話せるガイドになるといいなぁと思います。地域の方に知ってもらうことが、古墳を守り継いでいくために大切だと思うからです」。
妻北小の4年生では「さいと学」という授業の中で記紀の道について学んでいるという。地域づくりイベントの一環で、子どもたちも竹之下さんらのアドバイスを受けながら、ガイドに挑戦する。竹之下さんのお孫さんも案内できるそう。この子たちが支え、守っていくこれからの西都の未来が、ますます楽しみだ。

記紀の道は遊歩道ができ、案内板も付いて、見学しやすくなった。新生・記紀の道を歩いてみよう。

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